3つの安心

  • 技術力・経験力:私が学んだ当時、整体など民間資格の手技を教える学校で「学校法人」格を持つ学校はたった一つしかなく、その唯一の専門学校を卒業しました(医療専門課程修了 専門士)。2年間、各種の「技術」はもちろんですが、外部講師(医大の先生)による「生理学」や、「解剖学」「機能解剖学」「心理学」「健康運動実践指導」等も学びました。ちなみに学校の理事長は整形外科医。卒業・開業後も「均整法学会」に所属して、毎月の「支部研修会」、年に2回の「全国講習会」へ参加。また、創始者 亀井進先生から直接薫陶を受けた先生方の勉強会への出席のために名古屋や松山へも頻繁に通いました。名古屋は日帰りで、松山は寝袋持参で1~2泊。名人・達人・天才・奇才たちに囲まれて学べたことは私の大切な財産です。松山では明け方まで練習し、日が昇ると近くの銭湯で奥道後温泉の湯につかる。今思えば贅沢で充実した時間でした。自分の施術所を構えてまる24年。この「経験力」にもご期待ください。

 

  • 気軽さ・等身大:当院のお客さまは、普段着や作業着のまま、車でお越しになる方がほとんどです(約2台分の駐車スペースあり)。また、完全予約制による、他の方と一緒にならない「プライベート空間」をご提供いたします。感染対策の意味でも、プライバシー確保の意味でも安心です。コロナ禍を経験した今、わざわざ電車等で都心へ出向かなくても、お住まいの地域で各種のサービスが受けられる場所が見直されています。当院は地域に根付き、地域の皆様への貢献を目指しています。なので、広域から多くの顧客を確保する意図はありません。そのため、一部にみられる、根拠が曖昧な「クチコミ・ナンバーワン」や「専門」等の表示や宣伝は一切行いません。等身大のスタンスで、誠実に仕事に取り組んでいます。

 

  • 対話力・関係性:技術だけでなく「対話」による関係性も大切にしています。100時間を超える実技講習(産業カウンセラー養成講座)を修了して「産業カウンセラー」資格も取得しています。テキストによる知識学習・DVD視聴だけの「カウンセラー資格」とは一線を画していると自負しています。体に直接触れる技術だけでなく「対話」もまた、人を支援する大切な技術です。巷では「サービス内容の説明」や「お客様要望の聴き取り」が「カウンセリング」と表記されたり、たんなる「会話」や「世間話」さえ「カウンセリング」だと表現されたりもしています。カウンセリング力に裏打ちされた、質の高い対話によって、お客さまの健康状態(ウエルビーイング)維持に貢献いたします(精神疾患対象の医療的な心理療法は行いません)。10年以上・20年以上通い続けてくださる方々や、三世代でご利用してくださる方々もいらっしゃいます。この「関係性」こそが当院の誇りです。

身体均整法

当院で提供する技術は「身体均整法」(以下、均整法と表記)が中心です。

均整法というのは、体の不調(腰や膝の痛み・肩や首の凝りなど)の原因は、体のゆがみや偏った姿勢だと考える手技療法です。仕事などで長時間・長期間にわたって偏った体の使い方をしたり、強い打撲やケガなどがその背景にあると考えます。

そのため、お仕事での体の使い方や、今までのケガや事故などの経緯をしっかり伺い、全身をチェックします。その中で、不調と関係するゆがみや体の癖を探ります。それをソフトな刺激で改善していきます。

 

ここでは、ご利用を検討中の方にイメージしていただきやすい表現にとどめました。均整法について・創始者 亀井進先生について、私の理解力や表現力では記述するのが畏れ多い気もしています。

 

しかし、もっと詳しく知りたい方もいらっしゃることでしょう。均整法については、ネット上に様々な情報があります。

均整法が考える体型分類「12種体型」について、体の状態の観察視点である「三原則」について、均整法を「技術的」「学術的」「歴史的」「哲学的」・・に詳しく解説されたサイトも存在します。

また、亀井先生のエピソードも興味深いと思います。ぜひご自身で詳しく記載されたサイトを探してみてください。また、「均整法」とか「均整術」とか、表記のバラつきが気になる方がいらっしゃるかもしれませんね。調整の際、個人的になら、お応えします・・。

 

実際の施術では、均整法をベースにしつつ、様々な技法も研究し、取り入れています。

 今後も更なる技術力向上を図ってまいります。

目指すところ

目指すところは「健康への貢献」です。

 

…と言っても「健康」って、どんなものでしょう?

私のイメージはこのイラストのような感じです。「感じ」では納得できない方もいらっしゃるでしょう。では、言葉にするとどう表現するのでしょうか?

 

「公益社団法人 日本WHO協会」のホームページの「健康の定義」の頁から抜粋してご紹介します。

 

1947年に採択されたWHO憲章では、前文において「健康」を次のように定義しています。

「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)」

この健康の定義は、いまも世界中でひろく使われています。ただ、現在でも、日本WHO協会に、従来の健康の定義に「spiritual(霊的)とdynamic(動的)」は加わっていないのですかという問い合わせを受けることがあります。

1998年の第101回WHO執行理事会において、「spiritual(霊的)とdynamic(動的)」を加えた新しい健康の定義が検討されました。賛否両論があったのですが、第52回世界保健総会(WHO総会)の議案とすることが決定されました。そして、WHO総会で審議した結果、採択が見送られました。

 

―と。

WHOでも「健康の定義」について意見が完全に一致しているわけではないと読み取れます。「健康って何」という問いは簡単にこたえられるものではないようです。簡単でなくとも、そこを自分なりに捉えていかないと方向性を見失ってしまいそうでもあります。

 

では何をするのか?

 

例えば「青汁」を作ったり販売するのだって「健康への貢献」。もしかしたら、今でも時々我が家にもいらっしゃる「布団の訪問販売」だって「健康への貢献」を謳っていらっしゃるかもしれません。

 

『じゃあ~まあ~、そういうことで、めんどくさい話はともかく、とりあえず肩でも揉みましょう!』という訳にはいかない、と考えます。

寒いとき、からだ‥特に足が冷えているときに、ご高齢者の肩をいきなり揉むこと‥これは危険だと考えます。身体均整法の人体観はそう教えています。

 

「健康に貢献する」ためには、学ばないといけないこと、磨かないといけないこと、考えないといけないことがたくさんあります。と同時に、学ぶためにも、磨くためにも、考えを深めるためにも、同じ道を求める仲間が必要です。

 

また、周りの方々に信用していただく必要もあります。協力して、協力してもらう必要もあるでしょう。他人と共にある必要があるでしょう。たとえどれだけ素晴らしい知識と技術を持っていても、山の上で独りで君臨しているだけでは貢献は出来ない‥いや、その形での「貢献」もあるかとも思いますが、私の考えるものとは違います。

 

 私にとっての「健康への貢献」は、人間を多角的に学び、その幸福のために役に立つよう、手技の技術、カウンセリングやコーチングなどの対話による支援の技術を磨き続け、これを真摯に行っていきつつ、その有用性を訴え、家庭や職場、家族や親子、仲間同士でも応用できるよう工夫して案内していくこと。そのために仲間を大切にすること。なにより、人として信用してもらえるよう、自分や他人と向き合い続けること、だと考えます。

プロフィール・自己紹介

孫にデレデレです(2022年撮影)
孫にデレデレです(2022年撮影)
  • 1964年 あきる野市生まれ。地元の公立小・中学、都立高校を卒業。1年間予備校に通うも、授業をサボって本を読むなど「現実逃避」に明け暮れる。特に五木寛之・村上龍 。今でも「やらないといけないこと」が迫ると、つい、机の上を片付けてしまう。年を取っても人の本質は変わらないのでしょうか?最近よく思い出すのは、中学校で2年間、担任をしていただいた「くに先生」のこと。「やることはやる。それはいい。しかし、始まりがとにかく遅い!」と成績表でコメントしてくれました。このHP、着手するまで何年かかってきたのか、と。中学生の頃は法曹界に、高校生の頃は政治に関わるのが夢でした。
  • 1984年 東洋大学法学部法律学科入学 。大学7校受験して合格は2校。志望校に落ちたことで「夢」は何処かに行ってしまったかのように、アルバイト(スイミングスクールのインストラクターや家庭教師)に明け暮れました。また、少林寺拳法の稽古は週に7回。大学の授業にはほとんど出なかったくせに「教員」になりたいと思い始めました。
  • 1988年 大学卒業後、塾講師など「フリーター生活」を経験 。最低限の単位数で辛うじて卒業したものの、やはり教員になりたくて、スクーリングや聴講を受け、教員免許取得のための単位を取っていました。しかし、諸事情を理由に、今思えば意志の弱さなのですが、途中で諦めました。
  • 1991年3月~ 学習塾に社員として勤め始める。
  • 1997年 8月 学習塾退社。  9月より均整法を学び始める(憧れの先生の施術所で見学・研修)。
  • 1998年 4月 東都リハビリテーション学院   姿勢保健均整学科 入学。同校は1970年「東京身体均整学院」の名で、歯科医師の小関勝美氏によって設立されました。医師に見放された息子さんの病気が身体均整法創始者 亀井進氏の施術で改善。感銘を受けた同氏が私財を投げうって、均整師の養成校として設立したのだと聞いています。1992年に小関勝美氏が逝去。後任の理事長は「息子さん」。整形外科医になっていらっしゃいました。そして、1996年に現在の校名へ変更。2002年ごろ(記憶は不確かながら)姿勢保健均整学科の募集停止。現在は理学療法士養成の学科のみです。
  • 2000年 3月 同校卒業。
  • 2000年 5月「タオ均整院」開業。
  • 2007年11月 「田中均整院」へ改称、現在に至る。宣伝や広告に頼らず(資金がなかったため)、お客さまの口コミに頼ってやってきました。皆さまには「育てていただいた」というのが実感です。開業当初からのお客さまは「親戚」のような感覚です。

 

 身体均整法との出会いは20代半ばの頃でした。少林寺拳法で肘を傷めたのがきっかけ。「東京都大会」出場を前に、棄権も考えるほどの痛みでした。傷んでいる場所には触れずに、体の他の部分を調整してもらいました。また、口には出していない不調まで言い当てられもしました。痛いところに触れられていないので「たまたま良くなったのかな?」などと思うほどでした。頭では痛みが和らいでいることを受け入れられなくても、体は動くようになり、大会出場も出来ました。「なんだか不思議だなぁ~」と思ったのを覚えています。 

 

娘が生まれて考えるところがあり、転職を決意。思い出したのが均整法でした。「あの不思議な技術を仕事にしたい」と、今思えば単純な発想。私が31歳、結婚3年目、娘が1歳での「脱サラ」。雑な資金計画、無茶な行動でした。父の病気・介護も重なり、自慢できるぐらいの貧乏を経験しました。開業してから数年間、夜間・明け方までのアルバイト(塾講師や客室清掃)も。いい年をして、伯母やお客さんに「おこづかい」を頂いたこともありました。色んな人に助けていただきながら、20年以上が経ちました。感謝してもしきれないほどです。

 

あの時1歳だった娘も成長し(「施術の流れ」お客様役)、その子ども(孫)が3歳と0歳です。

 

娘や息子の成長に負けじと均整法の知識や技術を学んできました。「憧れの先生」は“哲学”も教えてくださいました。それが子育てにどれほど役に立ったことでしょう!色々な先輩方にもお世話になってきました。

今は孫たちの成長を楽しみつつ、彼らに恥ずかしくないよう、均整師として・カウンセラーとして・人として、さらに成長していきたいと思っています。

 

  • 均整法学会会員
  • 産業カウンセラー(一般社団法人 日本産業カウンセラー協会 東京支部所属)
  • 少林寺拳法四段